LAST KARAAGE
「では、いただきますっ!!!」
大きな掛け声と共に、僕たちは皿に箸を伸ばした……。
事の発端は数日前、友人の太一(たいち)が言ったことだった。
「なあ、ちょっと質問があるんだけど」
「ん? 何?」
「ああん?」
僕と伸夫(のぶお)はぶっきらぼうに返事をした。
うだるような暑い日、夏休み中のため教室には誰もいない。それでも太陽はまるで関係なしに地球を焼き、気温をグングン上げていく。この時期だけは本当に太陽がなくなってほしいと思う。
「僕、早く家に帰ってゲームしたいんだけど」
「俺も遊びに行きてぇんだ」
「お前ら、勉強しろよ……」
そう、夏休みにアホみたいに暑い教室にいる理由はあまり多く無い。そのうちの一つが補習だ。男子の着替えや裸踊り会場になるよりよほどしっかりとした理由で教室を使っている。そう、決して、決して告白イベントなどは起きない。
「伸夫はいいとして、なんで尽(じん)まで補習なんだよ」
「三番目の子がどうしても落とせなくて」
「ギャルゲかよ!」
テスト前日、気分転換にやった『堕天使アイドルスーパーライブ』のヒロインのひとりである『パミュ』ちゃんの攻略がどうしてもやめられなくなった。徹夜でしたのは勉強ではなくゲームだった。このゲームは難易度の高さもあるが、ライブに失敗すると即ゲームオーバーになり、しかも成功するまでセーブ出来ないというシステムが問題で人気が落ちたが、自分的にはその一発勝負的な雰囲気と高めの難易度がレトロ心をくすぐる大変いいゲームだと思う。
「ゲームもいいけど自分の体も大事にしろよ」
「うん伸夫、ごめん」
伸夫はその姿や行動がアウトローなのに僕達にはとても優しい。いや、僕達というより割とだれにでも優しい。ただ、方法が多少ずれている。例に上げるなら、足を怪我して歩けなくなった子供を送るために、他人の自転車を拝借するような奴なのだ。そんな事ばかりをするから周りからは奇異の目で見られるのだった。
「栄養剤でも持ってくるか?」
「いやいい、というかやめて、何もしなくていいから」
持ってくるとか言ってそのへんからかっぱらってきそうで怖い。まあ今の時点で万引きとかはしてないみたいだけど……。少なくとも僕が見ている範囲では。
「おいお前ら、いいから俺の話を聞けよ」
「ああ、なんだったっけ」
「あのさ……お前ら家族とか友達と食事しててさ、最後にひとつだけ残ったから揚げをどうしてる?」
太一(たいち)は成績優秀、スポーツ万能で高校での秀才の地位をほしいままにしている。本人は気にもとめないが女子の人気も高い。だから、から揚げがどうのこうのという小さいことを言ってはいけない存在のはずだ。
――それにしてもから揚げ。
から揚げである。
からっと揚げたからから揚げではないというあれ。
具の種類は色々あるが、多分一番オーソドックスな鶏のから揚げのことだろう。
「うーん、僕は手を出さないで他の奴が食べるのを待つかな」
「伸夫はどうだ?」
「お前らにやるよ」
「家で食べるときはそのまま残ってもあとで食べられるしね」
「お前らはそのひとつ残ったから揚げに何も思わないのかっ!?」
「はぁ?」
太一は暑さで頭をやられてしまったのだろうか?
秀才が凡才になる瞬間を見られるのは魅力的だが、それはそれで寂しい。
「俺は! 俺はいつも思っていた! あの一つ残ったから揚げを見ながら悶々としていた! なぜキミは残るのか! なぜ食べられないのか! から揚げとして生まれてきて、揚げ物が一番美味しい時期である『揚げたて』、つまり、これはもう『旬』だ。その一番最高の時期に食べてもらえないもの哀しさを救ってやれないだろうかと!」
「……」
暑苦しいな。
そしてどうにも脂っこい。
つまりはうっさい。
太一は毎回残ったから揚げを悲しそうに、そしてやりきれない視線を投げかけていたのだろうか?
……ていうか、そこまで想うなら食べてあげなよ。
「なあ尽、どう思う!? お前のから揚げに対する想いはその程度か!?」
「想いとかは別にないけど、別にいいでしょ」
暑い今の時期だと、意外に冷えたから揚げもうまかったりする。
そして、小皿に移されたから揚げほどつまみ食いしやすいものはない。
「ただ……食べてあげたいんだ。他のから揚げ達と同じように、何の葛藤もなく、ごく自然に。そして『最後まで旨かったよ』って言ってやりたいんだ。もちろん、口には出さない。心の中でだ。口にすると想いがウソになっちゃうような気がするから。この想いは本物だから……」
「ああそう」
「一言でつるっと流すなそうめんかお前は!」
スポーツ系のクラブに入っているせいでムダに熱い奴だから始末におえない。
そんな彼は貴公子の名も欲しているのかテニス部に所属している。
「だいたいさぁ」
そんなギトギトの話題をこのクソ暑い時にしないでよ。
だいたいなんでから揚げなの?
別に冷奴だってスイカだって練乳デラックスビックあんみつだって余るときは余るだろうに。
……。
最後のは学校の近くにある喫茶『古蔵(ふるぐら)』の看板メニューである。
この前この三人プラス女子二人で食べに行った。
――女子二人ってあえて名前を出さないで言うと青春っぽいな。
「じゃあ一個じゃなくて二個残しとけばいいんじゃね?」
伸夫が口をはさむ。
しかしどうにもやる気はなさそうだ。
「それで二人が同時に食べればハッピーエンドだろ」
「伸夫、お前はから揚げが二個残った時点で毎回となりの奴に『最後一緒に食べませんか?』って聞くのか? 食事のたびにそんな共同作業させるつもりか?」
「んなのしらねぇよ。じゃあ二個とも残しとけよ。それなら寂しくないだろ」
「だから! 聞いてた俺の話!? 食べないとしょうがないんだよ! 次はない! 次はないんだよ! そんなのから揚げさんに申し訳ないだろ! なんか家庭での話になってるけど店で出たから揚げはそんなこと出来ないだろ! 何のために俺達に時間割いて衣職人(ころもしょくにん)が鶏肉に衣まぶしてると思ってんだよっ! その職人さんが残ったから揚げを見てどう思う!? 『なんで二個も……』て落ち込むに違いないんだよ。から揚げは一個減るごとに幸福が一つずつ増えるけど、残すと悲しみは倍になるんだよっ!」
ああうざい……。
誰か太一にありったけのから揚げをぶち込んでください。
本当はから揚げが食いたいだけなんじゃないか?
はぁ……早く四人目のヒロイン『マリン』ちゃんをトップアイドルにしたいなぁ。
その時、教室のドアがスイーッと滑らかな音をさせながら開いた。
「あらあら皆さんおそろいですのね」
「みんな〜ヤッホー」
「真里、と……ゆうみか」
「教室から大きな声が聞こえてきましたのでゆうみと二人できてみましたの」
「たのも〜」
口調からわかるとおり真里はお嬢である。
顔に傷があるタイプの娘ではなく、財閥の娘タイプの方だ。
こういうタイプは高飛車でわがままか、深窓の令嬢よろしく物静かと相場が決まっているが、真里はわがままの方である。
――しかも、この御仁は何故か進んでよりそうなろうとしている。
つまりどういう事かというと、真里は、世間一般の(というふうに真里が考える)お嬢様になるために日夜努力をしている人なのである。
だから、口調は変えるし、髪は金髪に染めるし、妙にひらひらした私服を着てくるし(ちなみに高校は制服である)、権力を盾に教師たちに言いたい放題やりたい放題わがままたたき売りセールなのだった。
現実に真里の父親が学校に出資している以上学校側も何も言えず、まさに真里嬢の『庭』とかしている。
しかし、真里の母親は僕達と同じような普通の人のため、子供の真里にもその影響が出る。
「それってどうなの……ですわ?」
とか口調に地がでたりする。
もうこうなると滑稽である。
頭に”う”が付くほど上等なジョークである。
地が出ることを楽しむあまり、学校全体がニヤニヤしながら彼女を動向を観察している。
性格が性格だけにいやな思いをする人がいると思いきや、やりたい放題の内容が『トイレ全部を様式ウォシュレットにしろ』とか『格安フレンチを提供しろ』とか環境が便利になるばかりで、その全部の頭に『費用は父が出しますから』と付くのだから学校にもそこに通う学生や教師にも至れり尽くせりである。よって、真里の周りに敵はいなくなった。
金の無双乱舞である。
金の力で一騎当千の最強武将である。
――――対して、ゆうみ。
これはもうアホである。
純度百パーセントの天然系少女であるところの、沸点二万℃級のほわほわ娘である。
しかし侮るなかれ。
この天然、クソ足が速いのである。
スポーツテストではいつも転んだりして怪我するため記録には残らないが、修学旅行でアフリカに行ったとき、現地人に『チーターに肉薄(にくはく)できる存在』と言わしめたと噂になるほどである。
――予想通り、旅行先がアフリカなのは真里の力である。
廊下の端同士でゆうみと出会い、気づいたときにはほにゃっとした顔が近くにあり、横を風が吹き抜ける様を体験できるのは、親しくしている僕達ぐらいなものである。
そして、喫茶古蔵に行ったのは僕達五人であることも分かってもらえたと思う。
まあそんな人間を超えた人間であるところのゆうみは、真里に尊敬されていた。
そのほわほわ感が『貴族の気品』に溢れているらしい。
意味が分かない。
どう見てもアホなだけでしょう?
靴とかよく左右違う種類履いてきてるよこの子?
パンツも逆に履いてきてる時あるよ?
…………。
……………………ゲフンゲフン。
あ〜、いい天気だな〜。
……。
ゆうみは声も可愛いのである。
そう、俗にいう『アニメ声』なのである。
中学生ぐらいの設定のキャラクターなら世間を席巻できる程度のポテンシャルは持っていると、コアな(ギャル)ゲーマーである僕は自信を持って太鼓判を押せる。
『堕天使アイドルスーパーライブ』のキャラのひとりとして出ていても不思議じゃない。
――演技力云々は別にして。
「なにはなしてたの〜?」
変換ボタンを押しても全部ひらがなになりそうな声でゆうみは質問してきた。
「どうせ低俗で野蛮な下ネタとかですわ。ああ汚(きたな)し汚(きたな)し」
そんな事喋ってないよ!
……ちょっと思ったことはあったけど。
から揚げの話あたりで脂ぎったゆうみの唇とか……。
いや、それよりも最後のほうなんか和風になってたぞ!
『いとおかし』みたいに!
「違う違う、残り物の話をしてたんだよ。ね、伸夫」
「あぁ、まったくうぜぇ」
というように思っていたことと違う当たり障りの無い事を言う。
「なんだよお前ら、多少乗り気だったじゃないか?」
この太一は何を言っているのだろう?
今までの会話のどこでそんな結論に至ったのだろう?
まったく秀才の考えは庶民には測りかねますなぁ。
「残り物? 残飯の話ですの?」
残り物イコール残飯という発想になるあたり、真里は本物である。
庶民の敵め! マイナス十ポイントだ!
「残飯は全て肥料にして菜園にまいてますわ」
プラス三十!
くそっ、ポイントアップしちゃった!
事前に少し下げてた分上がり幅がでかい。
でも実際肥料にする機械とか一般家庭にそうそうないよね。
家庭菜園もやってないし。
「お嬢様の真里は知らないかもしれないけど、一般ではご飯の残り物は次の日にも食べるんだよ」
「ぁ……。し、知ってますわ!」
僕が真里にやさしく下々の生活を説明すると、真里は慌てたように反論した。
「ほ、ほんとうに知ってますわ! わたしもやったことあるもん……ですわ! むしろ次の日が楽しみでご飯残してますわっ!」
……さすがにそれはしないかな。
いや確かに残り物のご飯で作ったチャーハンはおいしいけども。
次の日のイベントのために前日入りするようなご飯の食べ方はしない……と思う。
少なくとも僕は。
――どうでもいいけど真里の家にお呼ばれしてご飯食べたい。
さぞおいしいだろう。なんせお嬢様の家だし、優秀なコックが居そうだ。
「真里の家のご飯食べてみたいなぁ」
「えっ!? ……え、え? え! えぇっ!?」
驚きの表現が多彩だな。
見てて面白い。
「ほ、ほほほほほほほ本当! ですの!?」
語尾が分離するほど驚いているらしい。
「うん、この前お呼ばれしたときのお菓子も美味しかったし、ご飯も期待できそう」
少し前、このメンバーで真里の家にお茶をしに行った。
その時のお菓子はもう、凄かった。
明らかにパティシエが注文を受けてその場で作っている感じで、できたてホヤホヤなのである。
そして、そのどれもが絶品だった。
まさかキュウリにあんな使い方があるとは思わなかった……。
きっと高級ホテルのスイーツはどれもこんな感じなんだろうと夢も膨らむ味で、お腹と一緒に心もいっぱいになった。
「んで! で、では! こ、今夜……ぁ、に……でも!」
「あ〜。でも多分、みんな今日は予定あるんじゃ……」
「え?」
「俺は無理」
「俺も今日は部活の壮行会があるからダメだな」
「ごめんねまりちゃん〜。わたしも今日は用事があるの〜」
「……」
「ごめんね真里、みんなダメみたいだし、また今度」
「ス……」
「?」
「スパァッ!」
「えっ!?」
……なんか変な擬音が真里から聞こえたぞ。
でもお嬢様は『スパァッ!』とか言わないはずだ。
きっと勘違いだろう。
「…………そ、そうですの。それでは仕方ありませんわね」
一文の最初から最後でこんなにもテンションが落ちるコメントを初めて聞いた気がする。
よっぽど来て欲しかったんだな。
なんか申し訳ない。
僕だけでも行ったほうが良かっただろうか?
「なあゆうみ、ゆうみはどうしてんの? ご飯の残り物」
「たわ……わたし〜?」
今のは素で間違えたのか?
もしくは噛んだ?
今時そんな噛み方あるか?
でも……きっとやってくれる。
ゆうみなら……きっとやってくれる!
そう僕は信じて疑わない。
「わたしは〜。次の日のお弁当にしちゃうかなぁ」
「だよね〜」
大体そうだろう。
基本基本。
変なボケもなくて大変結構です。
「朝ごはんに食べちゃうけどね〜」
なん……だと……。
じゃあいつも持ってきている弁当は……二代目?
どれだけ食いしん坊なんだ。
いや、燃費が悪いのかな?
でもあの短いスカートから見える足とかいい肉つき具合でとてもおいしそ……。
…………。
それはそれとして朝に弁当食うってなんか豪華だな。
「オラ太一、誰もお前みたいにたかが残り物に想いを馳せてねえよ」
「くそっ、お前らそれでも人間かっ!」
言葉だけ聞くとカッコイイけど元の内容がアレだけにアレだなぁ。
「一体何の話ですの? まだ良く内容が見えてこないんですが」
「太一が最後にひとつ残ったから揚げをどう自然に食べるか考えたいんだって……から揚げさんのために」
「はぁ……やっぱりくだらないことでしたのね」
「くだらないって言うな! 大事なことなんだ! いただきますと言われたのにいただかれなかった気持ちがわかるのか!」
「そんなのあなたもわからないでしょう?」
「ああわからないさ! だから俺はせめて役目を果たしたいんだ! 食べてやりたいんだ、俺が。だれよりも気持ちを分かりたい俺が。それが、それがあいつらへの礼儀だと思ってる」
「これ以上話しても埒(らち)があきませんわ。もう行こましょうゆうみ」
「あ、あ。ま、またね〜」
微妙に噛みながら真里はゆうみと退場した。
なんだかんだで仲良しの二人である。
「お前ら頼む!」
太一はいきなり叫んだ。頭を下げ、両手を握り締めている。
「一緒に考えてくれ! 多分、もう、もうこんなチャンスは二度と無い。今しかないんだ! だから、頼む!」
もうどんだけだよ。
その熱意をもっとテニスにぶつけろよ。
「もちろんただとは言わない」
「えっ?」
僕と伸夫はかすかに色めきだった。
「最高の方法を編み出したら、三千円をやる!」
「なにっ!?」
さ、三千円!?
時給七五〇円のバイトを四時間こなさないともらえない、アレのことか!?
それがもらえるかもしれないなんて……。
「俺、欲しいCDがあったんだ。やるぜ」
「ぼ、僕も!」
欲しいんだ!
――――設定資料集が!
堕天使アイドルの設定資料集がっ!!
税込二六二五円!
しかも数量限定版には各アイドルのサインカードが付いているというシロモノ。お金が無いと泣く泣く限定版を諦めていた物が、今眼の前にぶら下がっている。
ここで行かずチャンスはあるのか?
いや、ない!
いや、ないっ!!
「ふたりとも……ありがとう! ありがとう!」
太一は僕と伸夫の手を取りブンブンと振る。
夏に男同士で握手するほど煩わしいものもないと思う……。
だがしかし、これで三人の絆はがっちりとつながった。
金の力で。
お金は偉大!
そういう意味で真里は偉大!
力を持つものは偉大。これはまごう事なき世の理である。
「じゃあ明日の夜までに考えてきてくれ、夜に店で実際に実行しよう!」
「えっ? 早くない?」
「鉄は熱いうちに打つんだ! それぞれの案を持ち寄って対決だ!」
そうか、最後に食べるのはひとりだから、自然と対決する形になるのか。
「どこでやんだよ」
「二、三心あたりがある。明日メールするよ」
「そっか、わかった!」
「全ては残り物のために!」
「残り物のために!」
「やってやるぜ!」
「じゃあ俺走行会の準備あるから、行くわ!」
「うん、またね」
「メール忘れんなよ」
それぞれに別れの挨拶を告げ、益荒男(ますらお)達はそれぞれの道を歩き始めた……。
次の日。
つまり、『決行』当日
昼ごろに太一から来たメールで指定されたのは、駅前にある一つの中華屋だった。
中華屋『スパイスヘブン』。
……とりあえず名前だけで色々突っ込める。
店主はどういう気持ちと経緯でこの名前を付けたのだろう。だがしかし店主は地元のテレビの取材にも決して口をわろうとはしないらしく、名前に秘められた想いを僕たちは知ることが出来ない。
食品サンプルやメニュー表も外に出てないし、そもそも中華屋と書いてないから、黄色い外壁を見ながらカレーを食べようとうっかり店に入り、なるとと龍でデザインされた店内と、どう考えても使わないんじゃないかと思うラー油や酢や醤油に不安ととまどいを受ける一見さんが続出している。
そしてメニューを見てやっと不安は確信と悲しみと諦めへ変わることになる。
『料理に香辛料がふんだんに使われてるんじゃ……』という一縷(いちる)の望みに賭け、出された料理から必死に鼻や舌への刺激を探ろうとするが、どこまで行っても今まで自分が食べた『中華料理』というカテゴリーから脱出することはない。
この店で無言で真剣な顔をしながら料理を食べ進めている人がいるとしたら、その人はまず九割一見さんである。
残り一割は『どの料理かに絶対入っているはず』と全メニュー制覇しようとする無謀な挑戦者(リピーター)たちである。彼らは全てのメニューを制覇したとき、達成感と絶望感という新たな感情を味わうことになる。
しかしむしろそれこそが天国へいざなう極上のスパイスなのかもしれない……。僕は最近、そう思い始めている。
――まあそんなこんなで『美味しかったけど……なんか、こう……違うじゃん、そうじゃないじゃん。……いや、美味しかったんだけどさ』と微妙な顔をしながら料金を支払い店外へと出た後、もう一度店名を凝視する一見さんを一番よく見ることが出来る店である。
そしてリピーター率も非常に多い。
多分外見とのギャップが料理の美味しさに上乗せされているんだろう。
もしかして、店主はそこまで考えて店名を考えたのかもしれない。あくまで推測だが。
――と、まあ色々説明したが。
とりあえず、非常に紛らわしいのである。
ちょっとした詐欺レベルである。
さすがに疑問の声(苦情とも言う)が出たのか、少し前からメニューに『ミニカレー』が追加された。
コアなリピーターからは『カレーを出したら店のよさが潰れる!』との声が上がったが、これで一見さんたちの悲しみが多少なりとも軽減されるのなら、悪くない判断だと思う。
しかし、『ミニ』しか出さないというのは……また作為的な気がする。
僕たちは今後もこの店主の手のひらで中華ライフを躍らされるのかもしれない。
という事でスパイスヘブンなう。
と、太一にメールを送ると、自分が歩いてきた方向と反対側からゆうみが見えた。
「あ〜、尽くん見っけ〜!」
とゆうみが叫んだ。
――目の前で。
「うわあああ!」
驚いた拍子に尻餅を付いてしまった。駅前で人もそれなりにいるため恥ずかしい。悲鳴を上げて座り込んでいる男とそれを笑顔で見ている女性を見て、通行人は何を思うだろう。
ていうか速過ぎる。
いや、速いというか瞬間移動の類いだと思う。
もしくは遠近感を惑わする何かをされたのかもしれない。
「だいじょうぶ〜?」
文字通り瞬く間に目の前にやってきたゆうみは、自分のせいとも知らずのんきに聞いてくる。
僕もそろそろコレに慣れなければ。
毎回尻餅付いていたんじゃそのうち尻の部分だけ破れてなんかのコントみたくなりそうだ。
それにしても、ゆうみの服装はなんというか……なんだ。
凄くイイ。
休み中だから私服を見れるというだけで魅力アップなのだが、夏ということで色々露出してしまっている。
上は肩開きのTシャツ(『ザク』という文字が真ん中にデカデカと書いてあるが気にならない)で下半身なんかホットパンツ姿だ。
本当に良い時代になったもんだとつくづく思う。
…………オヤジか。
いつもしてる髪留めも外出用の少し豪華そうな奴でキラキラしてる。それでもいやらしくはなく、髪が短めなこともあってとても爽やかな印象だ。
ゆうみには二十ポイントを進呈したい。
「なんでここにいるの?」
「太一くんによばれたの〜」
「そうなんだ」
太一はゆうみも呼んだのか……。
じゃあ多分……。
「お、お前らはやいな」
「あ、太一くんだ〜」
「お前じゃない!」
「え?」
明らかに今の僕の思考ルーチンだとお前じゃないだろ!
ゆうみとセットの女子のほうだろ!
頭いいんだから空気ぐらい読んで欲しい。
「いや、時間まで本屋で参考書読んでようと思ってたんだけど、尽がもう着いたっていうから」
僕のせい!?
しかも本屋に居たとかちゃんと空気読んでる。
早く着いて暇だからってメールなんて送るべきじゃなかった。
「あ、そ、そうだね。どうも」
「それより尽。ちゃんと考えてきたか?」
「う〜ん、まああるにはあるけど実際に始まってみないとわからないな」
「そうだな。実践は場の流れがどう動くかわからない、まるで生き物だ。その場その場で最善の方法を探す必要がありそうだからな。だが、だからこそ面白いのかもしれない。俺はきっと、今日という日を一生忘れないだろう。最高の友と、最高の舞台で、最高の戦いができることを俺は心底楽しみにしている」
「うん、僕も頑張るよ」
改めて確認するが、今日やるのは残り物争奪戦である。
いくら脚色しようが、正当な理由をつけようが、つまるところ食い物の取り合いである。
「太一くん大会頑張ってね〜」
「ん、ありがと」
そうか、ゆうみには壮行会ということにして言ってないのか。
でも、それでいいと思う。
敵は少ないほうがいいし、あくまでも事を『自然に』するならその自然の部分を演出してもらうために必要な人材だ。
「よおお前ら」
あ、この声は伸夫……、
「うわあああ!?」
血、ち、チ! 血が!
おびただしい量の血が。
Tシャツいっぱいに広がってるっ!!!
「ち……血……」
「ああコレか」
伸夫はTシャツの裾を広げてみせた。
ポタポタと液体が裾からこぼれ落ちる。
「なんか子どもが知らないおじさんに連れてかれそうだったんでな――」
「な……」
なんてこったー!
やっちゃった!
ついにやっちゃったよ!
殺っちまいやがったよっ!!
伸夫の優しさがついに人を殺してしまった……。
いつかやるんじゃないかと友人としてハラハラしていたが、まさかこんなに早く……。
「で、交番に行ったんだけどさ――」
ああもうダメだ。
犯した罪はもう取り戻せない。
もう伸夫とは鏡越しでしか会えない、
なんでこんなことになってしまったんだろう。
もう少し僕がしっかりしていれば。
伸夫のことをしっかり見てやっていれば、こんな事にはならなかったのに……。
「で、トマト――」
「え?」
TOMATO?
欧米風に発音するとトメィトとのことだろうか?
なんでそんなモノを?
「ぶちまけちまってさぁ」
そうか……。
トマトを相手にぶちまけて殺したんだな……。
水はその水圧で人を殺すことができる威力を持つ。
ならトマトだって、人の頭も内臓もぶちまける威力を持つことは難しくない。
どこかの国でトマトをぶつけあう祭りがあったと思うが、あれは多少潰してから投げるルールがあるという。つまり、潰さないで投げると危険ということが証明されているということである。
「おい尽、聞いてるのか?」
「……」
聞いてるさ。
聞いてやるさ。
警察より早く証言を聞けるなんて、友人として幸せなのかもしれない。
「伸夫……二ヶ月に一回は会いにいくよ」
そして祈ろう、一緒に。
死んでいったものへの冥福と、残されたものへの幸福を。
僕達にできることはそれしか無いのだから――。
「伸夫くん災難だったね〜」
ゆうみ……。
のんきすぎるよ……。
そのコメントはのんきすぎるよ。
せっかく贖罪の想いで最後を締めくくったのに、横からへんなツッコミをさせようとしないでくれ。
「尽。そんなんじゃ休み終わっちまうよ。くるのは毎日でもいいぜ」
――そうだね。
みんなが外で生(せい)を謳歌してるのに、暗い建物の中にずっといるのは寂しいのかもね。
わかったよ。出来る限り、行かせてもらうよ。
さあ伸夫。
もうこんな『茶番』は終わらせよう。
犯罪を起こしたその足で、友人と親しく離すなんて……喜劇にもほどがある。
「伸夫……」
太一、ゴメンね。君の願いはもう終わった。三千円は何か世のために使おう。
「そのTシャツに付いたトマトジュース、どうするんだ?」
「え?」
「え?」
僕が疑問の表情を伸夫に向けると、伸夫も疑問の言葉を口にした。
「トマトジュース?」
「ああ、そこで新しいTシャツ買ってきたから、中のトイレで着替えるわ」
「血じゃないの?」
「は? お前なにいってんの、大丈夫か? 暑さで頭やられちまったか? まずいな。どこかで氷を買ってこないと」
「あ、えと……ごめん。さっきの話よく聞こえてなかったみたい。悪いけどもう一回話して」
「あんだよやっぱりかよ。いいかよく聞け」
伸夫は少し遠くに視線を向けながら話し始めた。
「だからさ、子どもが知らないおじさんに連れてかれそうになってな」
「うん」
で、殺したんだよね……。
「なんとか子供を交番に連れていったんだけどさ」
大事な場面スキップしたな。
さすがに殺害した場面まで言うのは、はばかられるのか?
「どうやらそのおじさんは子供の父親だったらしい」
「なっ!?」
に、肉親を……子供の肉親を殺したのかお前。
これはヤバイ。話がぜんぜん変わってくる。
「で、勘違いしたからその父親に謝りに行ったんだけどさ」
謝る?
遅いよ。
遅すぎる。
謝って生き返ると思ってるなんて……伸夫もパニックだったのかもしれない。
それもそうかもしれない。初めて人を殺して平常でいられる奴なんて、一般人ではそうそういない。
「そしたら『こちらもお見苦しいところを見せてすまない』って逆に謝られちゃってさぁ」
「え?」
「え?」
謝られた? 死んでるのに?
「お父さんは死んだんじゃないの」
「死んだ? なにいってんのお前?」
「……」
訳がわからないが……。
もし、仮に。
父親が死んでないとしたら……。
死んでいるという前提が死んでいるとしたら。
「じゃあ……その、Tシャツの赤い血はなんだよ!?」
「さっき話しただろ! トマトジュースだよ!」
「嘘つけ! 証拠はないだろ!」
「じゃあ臭い嗅げよ!」
「やってやるさ!」
伸夫のTシャツを半ば強引に引っ張り臭いをかぐ。
夏の陽気に照らされて、むせ返るような臭い。
これは間違い無く――。
「トマトだ……」
しかも決して安もんじゃない。
濃厚な。
確固たる地位を築いたメーカーの、正規品だ。
「なんで……トマトが……」
「だから、その父親にお詫びとしてトマトジュースもらったんだけど、暑かったせいで缶が暴発して、しかもいいタイミングで人とぶつかったせいで全部Tシャツにぶちまけちまったんだよ」
「……」
――なんということだろう。
じゃあ今までの僕の考えは、茶番で……全て独りよがりの一人相撲だったのか。
なんて恥ずかしいことを。
「この格好で服屋に入るの恥ずかしかったぜ」
「そうだったんだ……」
多分恥ずかし度では今の僕のほうが恥ずかしい。
「まあ、誤解も溶けたようでよかったぜ」
「時間過ぎてるのに真里ちゃんおそいね〜」
「ああ、そうだな」
「私ならもういましてよゆうみ!」
店の近くの道路から真里は叫んでいた。
気付かなかったなんて見た目の割に結構地味だったんだな。
「オーッホッホッホッホッホ」
「よし、みんな揃ったから入るか」
「そうだね」
「おう」
「うん」
「えええええええ!? ま、待って! 待ってぇええ!」
なんかお嬢が言ってるけど構わず店内に入る。
暑いのにグダグダ外で会話している場合じゃないのだ。
夕食時。
店内は家族連れや新聞を持った年中者などいろいろな種類の人間で賑わっている。
もちろん無言で難しい顔をしながら貪べている人も数人いる。
「予約はもうとっておいたから」
そう言って太一は奥のほうにある座敷席へ案内する。
それぞれ席に着くとおしぼりが出てきた。
ちなみに、僕の両側に女子が座って両手に花……なんてことにはならない。絶対にだ。だがなんとか両手に男は回避した。
「おうあんたらいらっしゃい。いっぱい食べていきな」
お盆を肩に載せ小気味よく喋りかけてきたのは、ミトさんだ。
なぜこんな場所にいるのかがわからない、長めの髪を後ろでまとめたポニーテールと、長身に合わせたエプロンが非常に似合う美人で、快活な姉御である。
まあ店主の娘さんらしいが。
現在二十代後半。現在彼氏募集中であるらしい、と、この前隣の席のおじさんとの会話で知った。
――ぜひともあやかりたいものである。
何がとは言わないが、ぜひともあやかりたいものである!
「さて、みんな普通に定食と飲み物でも頼んでよ。僕が大皿一品追加するからさ」
そしてみんなそれぞれメニューを選び始めた。ちなみに定食のセット内容はご飯と餃子三個、そしてサラダと中華スープが付く。ちなみにごはんと餃子の代わりにミニカレーにすることもできる。
「それにしてもさぁ、この場所にぜんぜん似合わないな、その服」
「あなたにそんな事言われる筋合いありませんわ」
「いやでもさすがにドレスはないだろ」
「パーティに正装でくるのは当然の礼儀ですわ」
「パーティ……。なぁ、壮行会ってパーティか?」
「え?」
太一はいきなり話を振ってきた。
「まあ……前途を祝すって意味ではパーティじゃないかな?」
「ほぅら見なさい! あなたのような輩に高貴な考えはわかりませんわ! せいぜい下々の者らしくコートで私達を湧かせないさいな」
「ああ……いや、どうも」
真里もこれでいて意外に友達想いだ。
いつもわがまま大臣だからそれがわかるのはここにいるメンバーぐらいだが。
「みんなメニューは決まった? ミトさん呼ぶよ?」
ミトさんを呼び、それぞれに決まったメニューと伝える。
女性陣は、冷やし中華定食と野菜炒め定食。
僕は、
「冷やし野菜ラーメン定食で」
「あいよ」
「おいおいお前遠慮しなくていいんだぜ? もっとガッツリいけよ」
「伸夫がそれをいう必要はないと思うが、そうだぜ尽。金は出せないけどせっかくの壮行会だからパアッと行こうぜ!」
「大丈夫だよ。それに大皿も頼むんでしょ」
そう。
メニューの時点から戦いは始まっているのだ。
伸夫は何も考えず大盛りチャーハン定食を頼み、今回の主役である太一はそれなりに豪華であるエビチリ&ホイコーロー定食という胃に重いものを頼むしか無い。
その点僕は見た目にもあっさり系のメニューを頼むことで、胃袋にまだ余裕がありそうだという認識をみんなに植えつける作戦だ。飲み物も烏龍茶にするなど準備は万端である。
まあ、体育会系の二人に比べて胃が小さい僕が取れる苦肉の策でもある。
「じゃあ大皿を一つ。この『銀河盛り鳥から揚げ』を」
「あいよ、銀河盛りね」
やはり大皿(勝負の品)はから揚げか。予想通りだ。
そして太一が鳥から揚げ好きなのも確定した。
唯一の懸念は好きすぎて昨日すでに食べ、食べ飽きている可能性だったが、最初の関門は突破した。
――いや、もしかしたら昨日も食べているかもしれない。それならそれでさらにこちらに有利になる。だから、
「俺鳥のから揚げ大好きなんだよ」
という太一のコメントも、から揚げの食べ飽きと定食による胃の重さの前では霧のように霧散する。
それにしても『銀河盛り』って……。写真で見る限り三人で食べられるのこれ? いやもう二人いるけど女性だし。
――相手は完全に打ち合いを望んできてる。
有利とはいえこちらも気を引き締めなければならない。
食べる量を減らして勝ってもそれは本当の勝ちではない。むしろ鳥だけに明日からチキン君と仲間内で呼ばれる可能性さえある。それはあってはならないことだ。
「注文は以上ね? じゃあ青春でも謳歌しながら待ってな」
そういいながらミトさんは厨房へ姿を消す。
青春を謳歌するって具体的にどうすればいいんだろうか?
まあいい、とりあえず今はこの勝負に全力を注ごう、堕天使アイドルのために。
僕一押しの第一天使ガブリちゃん待っててくれ。設定資料集を購入し、僕は君のすべてを掌握するっ!
野望を果たすため考えた次の策は……、
「あぁ〜なんか今日すごくお腹へってるなぁ。どんどん食べられそうだなぁ」
「奇遇だな。俺もだよ」
「俺も俺も。大会近いから胃のテンション上がりまくってるわ〜」
みんな考えることは同じか……。
この言葉で『今日メッチャ食える』という印象を与えることで、最後の一個への自然さをアピールするつもりだったが、全員この作戦は思いついていたらしい。
太一の『胃のテンション』と『大会』という単語はちょっとポイントが上がるが、微々たるものだろう。
その後は特に何も起きなかった。
というか、料理が来ていない今の状態では何もすることが出来ない。
そう、勝負が決まるのは一瞬。
最後ひとつ残ったから揚げに手を伸ばすその時。
それまでにどれだけ自分が自然に『最後に残ったから揚げを食べるにふさわしい人物になれているか』である。
ここからの動きは流動的だろう。
そう、まるでスポーツその他いろいろな場面での『試合』のように。
どちらが流れをつかむか、運をつかむか。
――から揚げをその箸で掴みとるか。
「尽ってさあ、本当はなんでもできるのにゲームで全部台無しにしてるよな」
「いきなり何?」
「いや、テニス部入ってればイイトコ行けたんじゃないかと思ってさ」
「そうかな」
「今回の補習もゲームのせいだろ」
「確かにゲームやってなきゃ今日俺と補習することもなかったわな」
「まあそれはそうだけど」
「私も尽くんできる子だと思うな〜」
「ほら、みんなそう思ってるんだよ」
「まあでも大事なのはそれだけじゃないし」
「そうですわ!」
(空気になりかけていた)真里が気色ばった表情で僕を見た。同調してくれるのは嬉しいが目がなんか怖い。
「人の価値を決めるのは勉学や運動の出来不出来だけではありませんわ。度量の大きさや優しさ、つまり器のデカさが魅力なのですわ!」
「うーん極論かもしれないけど、言いたかったのはそんなとこ」
さすがに勉強や部活自体を否定しない。
でも……、
「本当に好きなことが、部活じゃなくて、ゲームだったとしたら、それはやればいいと思う」
「尽が好きなことを止めるつもりも権利も俺にはないけどさ……」
「そうそう、本当に生活を壊さなければ、存分にやってもいいと思う。突き詰めれば部活もゲームもそう変わらないって」
部活もゲームもやってない人もいるだろう。それでも結果的に楽しく生きられればいい。
――まあ全部ゲームをやるためのいいわけですけどね!
やりたいもんはやりたいんだからしょうがない!
そしてこんな中華屋で変に真面目な話したくない!
そう、今日はから揚げの日! から揚げ曜日!
から揚げから揚げから揚げから揚げから揚げから揚げから揚げから揚げから揚げから揚げ……、
「から揚げおまーち」
ゴトンッという重苦しい音と共にミトさんが銀河盛りから揚げをテーブルに置きテーブルを凹ませる。
いや、実際凹んでるかどうかはわからないけどそれぐらいのインパクトがあった。
すごい。
五人分とか書いてあったがきっとそれ以上ある。これをほぼ三人て食べるのかと思うとそれだけで胸が焼ける想いだ。なにせ他にきっちりメイン料理も頼んでるのだから。
「ねえ今日ってなんかあんの?」
「今日は太一の壮行会なんスよ。テニス部の」
「ああそうなんだぁ。早く言ってよ、ガンバレ青年はばたけ青年かっとばせ青年」
「かっとばしたらダメな競技なんですけど……」
「おおそうか。いやぁあたしも若い頃はアレなもんよ」
若い頃というほど年をとってるようには見えないけど。
「ミトさんは何の部活をやってたんですか?」
凄いスポーツとかできそう。スラっとしてるし。
「将棋」
将棋!?
渋いな……。
意外に文系だったのか。
「『飛車姫』って呼ばれてた」
なんか二つ名カッコイイ……。
その呼び名はミトさんに合ってる。
「おーいミトコ、上がったぞ!」
「あいよー」
そう言うとミトさんはまた厨房に消えた。
そう、ミトさんは正式には『ミトコ』さんなのだ。
でも『ミコト』と間違われやすいので、ここではみんな『ミト』さんと呼ぶ。そんな中華屋アイドルのミトさん。
から揚げを皮切りに各料理がゴトゴトとテーブルに置かれてくる。あっという間にテーブルは中華の匂いでいっぱいになった。
さあ、ついに始まる。
今まで誰もしたことがないだろう勝負が。
ここまで長かったが、それもここまでだ。
壮行会スタートの始まりは僕が告げることになった。
「太一の大会の活躍と食べ物とスパイスヘブンに敬意を表して……」
緊張感は最高に高まった。
「では、いただきますっ!!!」
大きな掛け声と共に、僕たちは皿に箸を伸ばした……。
色々言ったが、単純に食事会である。
壮行会という名の。
「お前らどんどん食えよほらほらほら!」
早速伸夫が行動を起こした。
なるほど、自分の特性(やさしさ)を生かした攻撃か。
それで僕と太一の腹をふくらませようとする作戦だな。そう考えると伸夫の頼んだ大盛りチャーハンも、この作戦のフリだと考えれば全くの愚策じゃなかったのか。
意外にやるな。
だが、僕はこの日のために準備をしてきた。
今日は朝シリアルを食べただけだ。
胃の最大容量は生きてきた中でかつて無いほど多い。
太一は運動していることもあり、よく食べるし、それに意地もあるだろう。表情に変化も見せず伸夫からのから揚げを受け入れている。
状況は膠着していた。
だがしかし、早速予想外のことが起きる。
「から揚げおいしいね〜」
「そうですわね」
女性陣二人が意外なほどから揚げに手を伸ばしているのだ。
フードファイト並の勢いで食べている男達(特に僕と太一)の横で着実にから揚げの数を減らしていく。
これはマズイ!
短期決戦になる!
準備が整わないままの状況の変化に、僕は息を飲むように口内の食べ物を飲み物で流し込んだ。
伸夫と太一も同じようだ。
「い、意外にから揚げいっぱい食べるね」
「そ、そうかしら?」
場を落ち着かせるために真里に質問したが、かわされたようだ。
「おっきくなるんだって〜」
そうゆうみが答えた。
なにが? 背が伸びるってことかな?
「から揚げを食べるとお胸が大きくなるんだって〜パタパタ」
両手を鳥のように羽ばたかせながらゆうみが答えた。
チクショウかわいい。
いや、そうじゃなくて。
「へぇそうなんだ」
「昨日テレビで見たって真里ちゃんが教えてくれたの〜」
「ゆ、ゆうみ! ち、違う……違いますわ! テレビで見たのは執事ですわっ!」
別に否定しなくてもいいと思うけど。
というか、執事が見た?
……なんかそっちの方がイケナイ気がする。
この前真里宅で見たあの紳士のおじさんがそんな情報逐一チェックしていると思うと……いや、考えないようにしよう。どうせ嘘だし。
しかしから揚げの減りが速い。
五人分の料理を五人全員が食べればそれはもう普通に減るはずだ。
伸夫も今ではから揚げを食べることに参加している。
なんというかもうみんなしてから揚げだけ食べている感じさえある。
勝負を急ぎすぎているよみんな!
あ。
っという間に残り数個になった。
当然胃にはまだまだ入る。
メインの料理はまだあまり減ってない。
――これは、どうしたものだろう。メイン料理を食べ終わらないうちに勝負していいのだろうか、でもそれはなんというか、『自然』じゃない気がする。やはりこういう時は、メインの料理を食べ終わり、『なんとなく残った一個』というのが理想的な状況だと思う。ということは、急いで料理を食べなければならない。
あ。
そうか! つまり今眼の前にある料理をいち早く食べ終わった者から、から揚げへの挑戦権を得るのか!
伸夫も、太一もそのことにはまだ気づいていない。僕と同じでどうしたら良いか迷っているのだろう。それどころかぼーっとしている。
これは……勝った!
伸夫と太一に気付かれないように。女性陣にも気づかれてはいけない。『なんで急いで食べてるの?』などと聞かれた瞬間、二人も気づく可能性は大いにある。
誰にも気付かれないように、麺を口に運ぶ手を早める。
どうやら、イレギュラーに対応し、勝利をつかむのは僕のようだ。
ガブリちゃん、僕は勝つよ!
「ミトさーん!」
「ん? なに?」
伸夫がミトさんを呼び出した。なんだろう。飲み物のおかわりだろうか?
「特盛りでいいからから揚げ追加お願いしまッス!」
「なっ!?」
なんだって!?
そ、そんな……、
そんな手があったなんて……。
――――そうか、逆の発想か!
僕はから揚げが減ったのならメイン料理を減らせばいいと思った。
伸夫はから揚げを……料理が減ってないのなら、から揚げを逆に増やしたのか。
勝負を、振り出しに近い状態に戻したのか……。
「……フ」
僕はつい笑いを口に出してしまった。
僕の考えた策をひっくり返したこと。そして、あくまでも『自然』を……、僕と同じ正当な決着を望んだライバルに称賛の声を送ったのだった。
「やるな」
太一も小声でそうこぼした。
僕たちは目でお互いを讃え合った。
さあ、もう一度……今度こそ存分に勝負をしよう!
「あいよ、特盛りから揚げおまち」
ミトさんがから揚げの盛られた皿をテーブルに置いた。『銀河盛り』よりはかなり少ない量に、ボクは内心ほっとしていた。
「いつも来てもらってるお礼に春巻もいれといたから、食ってくれ」
「えぇぇ!?」
「ん、どうした尽? 春巻嫌いか?」
「いえ……好きです。いただきます」
「おう」
僕はつい声を出してしまった。
なんということを……。
なんということをしてくれたんだミトさんっ!
これじゃ勝負の対象物がから揚げと春巻きの『二種類』になってしまうじゃないか!
何というイレギュラー。
まさか店側からこんな刺客が飛んで来るなんて……。
まさに死角だった。
二種類の場合はどうなるんだろう。やはり同時に食べた人が勝ちなのだろうか? しかし、同時に一つずつ残った違うものを食べることほど難しいことはない。周りへの遠慮、いやなにより自分の心がブレーキを掛けてしまう結果になりかねない。それ程に難しい。どうしたらいいんだ!
「わ〜はるまき〜ダイスキ」
「喧嘩にならないようにちょうど五本ありますわね。一人一つ食べましょう」
「え?」
そう言いながら、ゆうみと真里は春巻を小皿にとった。
……。
…………よかった〜。
一時はどうなることかと思った。
勝負そのものをぶち壊しかねない現象だった。
五本という数。そして今の真里のコメントがその勝負を救った。
これで安心してから揚げのみの勝負に集中できる――。
僕たちは表向き、あくまでも壮行会として。大会に出る太一のテンションを上げるために、と、いってもいつもどおり、他愛の話をしながら食事を進めた。少なくても何も知らない女子二人だけは間違いなく表向きの行動だけをしていた。
だが、裏では男三人の視線が火花を散らしている。
自分のメイン料理を食べながら、それでもから揚げの残量を絶えず確認し、勝負のタイミングを伺っている。
僕が要している作戦まで、数としてはもう少しだった。
――この作戦は、絶大な効果がある。しかし同時にとてもリスクが伴う。だが、二人に勝つにはこれしか無いと昨日僕は考え抜いた末に結論を出した。
あとは運。
正直、前半戦が効いたのか胃が苦しくなってきた。
「お腹が張ってきましたわ」
「がんばろう真里ちゃん。ご飯全部食べたら特製デザートがまってるよ!」
「そうですわね、デザートになってしまえば別腹ですもの」
どうやら女性陣も限界のようだ。でもよかった。前半のように予想外の動きをされるとこちらも対応に困る。
僕は負けるわけにはいかない。お腹をふくらませながら必死に涼しい顔を装う。
全ては、残り物のために……ではなく、堕天使アイドルのために!
そして、そうこうしてるうちにから揚げは残り五個になった。
「へへっ……へ、どうよお前ら、もうそろそろギブアップじゃないのか?」
と太一が聞いてきた。
太一も結構キテるらしい。
すでに男達のメイン料理は全て無くなっていた。
「ぜんぜん」
「あと倍は食えるぜ」
「……そうか、まあ俺もだけどな」
多分、全員無理をしている。
しかし、それを口にした瞬間、負けは確定する。
勝ち負けどうこうもあるが、プライドを賭けた戦いにもなってきた。
「じゃあ、ジャンケンしようぜ!」
と、太一が意味不明な提案をしてきた。
「なんでだよ」
「買った奴がから揚げ食うの。グーなら一つ、チョキは二つ、パーは三つな。ホントは全部食いたいけどみんな食いたいならしょうがないよな!」
「私たちはもう食べられませんわー」
「わ〜」
「大丈夫、男だけでやるから」
……なるほどうまい!
これならから揚げがなくなるまでジャンケンを続けるしかなくなる。
勝ち続けるしかなくなる!
この男は……運否天賦の勝負を仕掛けてきたのかっ!?
太一を見るとニヤリと笑みをこぼしていた。
もしかして……編みだしたのか、必勝法を!
ダメだ、このままでは敗戦濃厚だ。何としても自分のペースに戻さなくては。
「じゃあ行くぜ、じゃーんけーん」
ポイ。
太一、パー。
僕と伸夫、グー。
「ヨッシャ、いただくぜ」
様子見でから揚げの数が少ないグーを出したのが災いした。
から揚げ三個は太一の持っている皿へと取られていく。
残り、二個。
もう、勝つしかない。
勝って……有無を言わさず食べるしか無い!
その時だった。
「おかあさーん。からあげたべたいよー」
となりから子供の声が聞こえた。
「今日の夜作ってあげるからがまんしなさい」
「やだー。今食べたいー」
何のことはない親子の会話。
しかし、僕と太一は驚愕の表情で伸夫を見ていた。
伸夫の眉がピクピクと動いている。それが意味することは何かを……僕たちは知っている!
「おい伸夫やめろ! 勝負をぶち壊す気か!?」
「そうだよ、やっとここまできたんだよ!?」
伸夫は固まったままだ。眉の震えはやがて全身の震えへと派生した。
「ねーおかあさーん。からあげー」
無邪気な子供の声が、今は破滅の歌に聞こえる。
やめてくれお子さん。
怒りを沈めてくれお子さん。
頼むよお子さん。
「かーらーあーげーーー」
願いは虚しく、ぐずりを増すお子様。
……ふと気づくと、ミトさんが子供の前に立っていた。
「はーいボク〜♪」
「……んぁ?」
今までに聞いたことのないような天使のような声を出したミトさんは、
「これでも喰らいなっ!」
子供の口に春巻をねじ込んでいた。
「ングゥゥゥゥ!」
「お母さんの言うことは聞かないと駄目だよ〜。ね、わかった?」
天使から閻魔の声になったミトさんに子供はコクコクと頷くのみだった。
「それタダであげるから食べたら帰るんだよ〜」
「すいません。ありがとうございます」
「いえいえこちらこそいつもありがとうございます」
……すごい。
なんかヒーローショウみたいだ。
ミトさんは正義の味方だったのか……。
「……」
太一、伸夫もポカーンとしていた。
………………ここだっ!
ここが分水嶺(ぶんすいれい)だっ!
「ミトさん!」
「なんだい?」
僕は高らかに勝利への言葉を口にした。
「追加で小ご飯を一つお願いします!」
「お〜いつにもまして食うね〜尽」
「はい、まだおかずが残ってますからっ!!!」
男ふたりは口を開けたままこちらを見ている。
だがもう遅い。
賽はもう投げられた。
でるのは僕の勝利の目だけだけどね!
「お前……ジャンケンはどうするんだよ」
「あーごめん、忘れてた。でももうご飯注文しちゃったししょうがないよね!」
そう、これが僕の最大の策だった。
全員がほぼ食べ終わってる状態で、おかずだけが残っている状態。
そしてご飯にはおかずがいる。
今までの言動はあくまでもフリだ。この作戦の前には何の意味もなさない。最初から勝負どころはここにしか無かった。
『白米』という唯一無二であり最大の味方を得て、僕はから揚げ(勝利)を得ることが出来たのだった!
「くっ……」
伸夫は顔をうつむけた。
さすがに諦めたのだろう。先ほど失態を犯しそうになった自分を恥じてのことかも知れない。
太一は……。
「……」
ブシュウウウウウウ!
「なっ!?」
握られた太一の手から出る液体。
そして手から見え隠れする黄色い表皮。
それは……間違いなくレモンのそれだった。
「太一……」
多分これが太一の持っていた最後の策だったのだろう。
レモンを『自分が』かけることによって、残りのから揚げを全て『自分専用』とする策。二人がレモン嫌いかもしれないという希望的観測も加味しての良策だ。
だがしかし……。
もはや事こここに至っては小賢しいというほかは無い。
「あーありがと、僕レモン好きなんだよね」
「……」
この言葉で太一の思惑は簡単に瓦解する。
もう無理だよ太一。僕の勝ちだ。完全に傾いた川の流れはもう引き戻せない。
「さて、ご飯が来る前にちょっとトイレ行ってくる」
ちょっと(人によってはかなり)抵抗があると思うが、スパイスヘブンに結構長く居たこともあり、あまり我慢できなくなっていた。まあ最悪な事になるよりはいいと思う。
「あ、ミトさ〜ん。特製デザート二つお願いしまぁ〜す」
「あいよー」
全ては終焉へ近付いている。もう前に障害物は何もなかった。
「デザート来る前に最後の一つ。パクッ」
「…………」
……………………えっ?
まさか……。
振り返り皿を見る。
から揚げが……ひとつだけになっていた。
「ああああああ!」
「尽くんごめん〜どうしても食べたかったの〜。やっぱりから揚げはレモンが一番だよね〜。最近は大根おろしにもはまってるけど〜」
この、この……。
このド天然超絶萌え少女がっ!!!
何ということを……。
「もう食べないから大丈夫だよ〜。いってらっせ〜」
手をひらひらさせながらゆうみは僕を見送る。
くそっ、手をひらひらさせる行為と声が可愛くなかったらその髪の毛を今すぐオールバックにしてやるのにっ!
まったくこれだから天然さんは怖い。最後の最後まで何をしてくるかわからない。傾いた川をせき止めて水攻めにするようなレベルだ。意味もなくこちらが驚愕することをしてくる。
これ以上何かされる前に用を早く済ませよう。
店の奥の角を曲がり、そそくさとトイレに向かう。
スパイスヘブンのトイレは、男女で部屋が別れている。大体こういうあまり大きくない(決して失礼なことを言うつもりはない)店は共同だったりするのだが、そういう気配りが女性客が多い理由でもある。(というか多分ミトさんが口添えしたんだと思う。あの人の発言権は強い。この前も厨房で『こんな味じゃ客こないよっ!』と大きな声を出していた)
「なんか急に心配になってきた……」
勝利を確信した瞬間あんな事があって急に心が挙動不審になった。
なんか携帯電話を家に忘れてきたような感じ。
から揚げ恐怖症である。
とにかく今は一刻もはやく戻りたい。
僕は気もそぞろに用を手早く済ませ、手を洗い、トイレのドアを開けた。
「……」
トイレの前には、真里が無言で立っていた。
「や、やあ」
真里もトイレかな。
そんなことより今はから揚げだ。早く、早く君に会いたい。
会って、君を僕の中へ誘(いざな)いたい。
トイレから座敷へ伸びる栄光への旅路(シャイニングロード)を、僕は踏みしめながら歩く。
「ねえ、尽……」
真里に呼び止められた。
「なに?」
なんだろう。
長い話なら今は勘弁してほしい。
から揚げが家(皿)で待ってるんだよ。
というかゆうみに食べられそうだ。
もうなんかゆうみが今は畏怖の対象ぐらいの勢いになっている。
「大事な話なのですが……」
「大事な話?」
なんだろう?
から揚げ関連の話かな?
「尽は……その……今、好意を持っている人はいらっしゃいますの?」
「え?」
好意?
まあしいて言えばガブリちゃんだけど……。
でも多分二次元(そっち)じゃないよな……。
「わたくし……」
真里は顔をうつむけたが、その後、
「わたくし、尽のことが好きですのっ!」
真っ直ぐ僕を見つめてそう言った。
「……え?」
えっ?
……はぁ?
…………。
「えぇぇえええ!?」
僕!?
僕が好きなのっ!?
ていうか好きって僕のことが好きですのってことでいいですの!?
「え……あの……」
真里は顔を赤くしてうつむいていた。
お、お、お、お、落ち着け!
とくかく落ち着くんだ!
冷製に!
霊性にだ!
ただの告白イベントじゃないか!?
あるある!
こんなことよくあるある!
ガブリちゃんに魔界で告白されることに比べたら、こんな中華屋のトイレでで告白されることなんでもない!
大丈夫だ! 僕には天使の羽が付いている! 飛べる、飛べるさ!
…………よし、落ち着いてきた。
冷静になってきた。
トイレが少し離れていて助かった。ここなら僕の狼狽っぷりが見られることもない。
ガブリちゃんありがとう。きみはほんとうにステキだね。
とりあえずここは主人公も使った台詞を使用しよう。
「僕が好きって……なんで……いつから」
「高校に入学したときのことですわ……」
そうか、高校ね!
高校知ってる! 勉強と運動するところだ!
「家柄を気にするあまり、周りを気にせず浮いてしまった私を、あなたが助けてくれましたの……覚えていらっしゃいますか?」
「……えーと」
とりあえず、『浮いてる』って自覚はあったんだ。
そのとき気持ちはこれからも大切に持ち続けて欲しい。
「ひとり寂しく家路につこうとする私を、お茶に誘ってくれましたの」
あーっ思い出した。
ホントは四人で喫茶『古蔵(ふるぐら)』に行こうとしたんだけど、ゆうみが『あの子も誘って行こうよ〜』と言うから僕が代表で誘ったんだった。それからは五人で色々なところに遊びにいくことになった。それまで女子は幼馴染のゆうみだけだったからちょうどいいと思っていたんだけど。
「夕日に染まったあなたの顔、優しいあなたの顔に、一目惚れしましたの……」
「……」
「最後の一個たべちゃお〜」
「「えっ!?」」
なにか向こう(座敷)で不穏な空気が……。
「おいゆうみやめろ!」
「そうだぞ! 尽が残した最後の一つなんだぞ!?」
「え〜、だって尽くん遅いし〜。もうタイムアップだよ〜」
「そんなに食べてもオムネは大きくならないぞ!!」
「おっきくするもんっ」
魔女が……。
魔女が動き出した!?
「尽……もう一度聞きますが、好きな人はいらっしゃいますの……?」
好意は嬉しいが今はそれどころじゃない!
から揚げが!
三千円がっ!
「あ……の……」
「ご〜〜〜〜。よ〜〜〜〜ん……」
「くそっ! 尽は何やってやがる!?」
「ゆうみに食べられるくらいなら、せめて俺がっ!!」
やばい! 敗戦の将たちも息を吹き返してる!
たった一言で、
たった一言で場の空気を崩壊させたっ!
「もし、今好きな人がいないのなら……わたくしと……」
「さ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん」
ダメだもう一刻を争う!
「僕、ゆうみが……早くしないと!」
「ゆうみ……。そう、やっぱり尽はゆうみですのねっ!!!」
赤いドレスを翻し、ダダダッと真里は走っていった。
なにか誤解をしたかもしれない。
でも今は!
今だけはっ!!!
「に〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
冥府へのカウントダウンが迫る。
僕は床を蹴って走りだした。
もうここまで来たら食ったもん勝ちだ!
食べたあとで『あのレモンでびちゃびちゃに濡れたから揚げ食いたかったんだわ』って言ったものの勝ちだっ!
最後に残ったから揚げの自然な食い方なんて気にするか!
そうだ、最後は行動なんだ!
どんなことであれ『食った』という事実だけがから揚げを救う!
だから、もし答えがひとつだけあるとすれば、
答えがひとつだけあるとするならば……。
「い〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ち」
それは、周りの目なんか気にしない、鋼鉄の……、最後を食べきる者の鋼鉄の!
「勇気だあああああああああああ!!!」
ヒョイ、パクッ
「あ………………」
「おいひぃですわぁ」
「ああああああああああああああああああああああ!!!」
◇◇◇◇◇◇
「まいどありー」
お釣りを渡すミトさんの笑顔に見送られ、僕は店の外に出た。
なぜ、真里はから揚げを食べたのか……。真里は何も言わなかった。
僕にわかる術はない。
ただ、明日真里の誤解は解かなければならないという想いだけ残った。
――それにしても、一番ノーマークだった人物にやられてしまった。
寂しく残った小ご飯を、僕はラーメンのスープで浸して食べた。
……美味しかった。
お腹はいっぱいになった。
それなのに、どうしようもない虚無感だけが残った。
こうして壮行会という名の激戦は終わった。
華々しく散った三人は夜空を見上げる。
満月は満腹になった僕らの顔を、お腹を照らし上げる。
まるで僕達を見て微笑んでいるようだ。
あるいは嘲笑だろうか。
いや、ただの衛星にそんな夢物語を望むべきじゃない。
最後の一つを食べられなかったということは、決して夢ではなく、どうしようもない現実だった。
だが僕と伸夫と太一は、お互いの顔を見ると笑いあった。
それはきっと、スパイスヘブンの料理が美味しかったからであるし、なにより、自分たちの持てるすべてを出し切った。そう感じていたからだと思う。
今回の疑問と結果は、残り物界に一石を投じる事になると思う。
いつか誰かが、太一のように気づいた誰かが、仲間を集め、またこの行動を起こしてくれることに期待する。そして成功した暁には、ぜひ僕達の目に届くように発表して欲しい。
『がんばってね』と太一に応援の言葉を残し、僕たちは別れた。
そして、じわじわと更けていく夜道の途中、最後に僕はひとつの疑問を持った。
「全員が最後の一個を食べようと思ってる時点で自然じゃなくね?」
と。